父が2000年に倒れてから、少しずつ身体が不自由になる中、母は自分よりも大きな父を一人で背負って、階段の上り下りを一人で担当していました。私が、帰省した際に母に「僕がやるよ」と言っても、母は笑いながら「大丈夫、大丈夫。あんたがぎっくり腰にでもなったら大変だからね」と言って、大きな父を器用に背負って、階段の上り下りをしていました。
そんな母が、父をデイサービスに送り出し、その後、慌てて自転車で買い物に行く時に、信号無視の左折するダンプカーに巻き込まれて、帰らぬ人となりました。
当日の朝、いつものように母に電話して父の様子を尋ねました。母は、「何も変わりがないよ」とのことでした。僕は、母に「父を背負っての階段の上り下りで身体が痛いところはないの。無理しないようにね」と話しました。母は、いつものように明るい声で、「大丈夫、大丈夫。肩なんか昔から一度も凝ったことがないから大丈夫」と笑っていました。母と話をしたのは、それが最後でした。その3時間後、私が病院にたどり着く前に、母は天国に旅立ってしまいました。
その後、父に母が亡くなったことを伝えたこと、周りの人たちの嘆きや悲しみは忘れることが出来ません。
葬儀が終わり、母の使っていた箪笥(たんす)の引き出しの一つを開けると、そこには入りきれない様々なサポーターがあふれるようにしまってありました。
その引き出しを持ったまま、私は涙が止まりませんでした。母の辛かったであろうことや、出来損ないの息子としてのふがいなさが身に染みて、引き出しをしまうことも出来ませんでした。母が私にいつも「大丈夫、大丈夫。肩なんか昔から一度も凝ったことがないから大丈夫」と言っていたのは、嘘だったのです。私に心配をかけまいと、肩や膝などの痛みに耐えて、父を背負って階段の上り下りをしていたのです。
私は、そんな母の辛かった状況を理解せず、母の「大丈夫、大丈夫」という言葉を信じていました。本当は、分かっていたのかも知れませんが、遠くに暮らす長男として、何もできないことを母の、「大丈夫、大丈夫」の言葉で安心させて貰(もら)っていたのかも知れません。
私が天国に行く時には、母のサポーターが引き出しに山のようにあった話を笑い話として、母の肩のマッサージを一杯一杯、ゆっくりとしてあげようと思います。ありがとう、お母さん。本当に、ありがとう。