何故ランボルギーニは自動車業界に進出したのか?

フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリ(1898年2月18日 - 1988年8月14日)とランボルギーニの創始者フェルッチオ・ランボルギーニ、この二人のあるエピソードをご存じだろうか?


ランボルギーニは元々、トラクターの製造会社だったのだが、なぜ自動車業界に進出したのか!?

そのエピソードを紹介します。


トラクターの製造販売で財を成したフェルッチオは、当時のイタリア成金の例に漏れずフェラーリを購入。
そのフェラーリが故障した際に、送られてきたパーツがランボルギーニトラットリーチ社で使っていた部品と同じ上に(クラッチだといわれている)、10倍の値段が付いていたことに激怒。
フェラーリに乗り込み苦情を言ったが、成金のたわ言と鼻であしらわれ、自身で自動車の製造販売に乗り出すことを決意したのだ。


当時、フェラーリで作られたクラッチは故障が多くランボルギー社のクラッチを使っていたようです。
しかし、その価格はランボルギー社のクラッチに比べ10倍の価格で販売していた。

実業家であったフェルッチオ・ランボルギーニは自動車は儲かるのでは?と思い自動車製造を思い立ったようです。

諸説あるようですが、この逸話が一番信憑性が高いといわれています。